書いた文字の物足りなさでボールペンが脇役になってしまった

 万年筆にハマってからというもの、私の中ではボールペンは脇役になってしまった。

 もちろん、ボールペンを使うことはある。仕事や手続きの際はボールペン一択だ。
 ボールペンは実用的で機動性がある。そして、ラフに扱える点は、万年筆よりも断然優れていると思う。

 しかし、万年筆にハマってからというもの、その実用的で機動性があるボールペンよりも万年筆を選ぶことが多くなった。
 日常的に万年筆を使うようになり、ノートやメモの文字は万年筆のインクの文字ばかり。プライベートでボールペンを全く使わないわけではないが(外出や移動が多い場合はボールペンにしたりする)、使うペンのベースは万年筆ばかりになった。
 もっと極端なことを言えば、ボールペンがちょっとオモチャのように感じてしまう(笑)。もちろん、ボールペンは素晴らしいペンだと思う。

 なぜ、そうなってしまったのか?

 万年筆にハマってからというもの、ボールペンで書いた文字を見ると、どこか物足りなくなってしまった。

 その物足りなさを感じるのは、文字の太さだろうか?

 万年筆のペン先の太さは、一般的にEF(極細)、F(細字)、M(中字)、B(太字)などと幾つかの太さの種類があり、ボールペンも何mmといった形で種類がある。文字の太さは万年筆もボールペンもある程度選ぶことができるが、万年筆の太い文字にはボールペンはかなわない――が、私は万年筆でも細いペン先(F以下)の方がいいので、書いた文字の太さが物足りないわけではなさそうだ。

 それでは、何か物足りない感じを抱くのは他に何があるのだろうか?

 万年筆の醍醐味の一つは、様々な色のインクを楽しめることだ。
 1本の万年筆で様々なインクを楽しむことができ、自分の気に入った色のインクを使うもよし、気分でインクを入れ替えるのもよし――様々なインクを楽しめ、その深みにハマると他のインクも試したい……とドツボにはまっていく(そうしたことを「インク沼」と言うらしい)。
 様々な色で楽しめる万年筆だから、ボールペンの書いた文字に物足りなさを感じるかというと……そうではなさそうだ。なぜなら、私は「ブルーブラックで良い」と思っているので、そのインク沼にはハマらずにすんでいる(笑)。ちなみに、ブルーブラックでもメーカーによって微妙に色が違っている。

 そうすると、書いた文字の雰囲気なのか?

 万年筆で書いた場合、紙にインクが載る感じになる。そして、書き方によっては、文字の線が少し太くなったり、細くなったりする(ペン先の細さもあるが)。そこに、インクの載り具合も出て、薄くなったり濃くなったりする。
 一方、ボールペンでは、ほぼ統一した文字の線や濃さになる。

 単純に、この違いが大きいように感じているが、それだけではないものがあるから、どこか不思議なもの。

 ボールペンは実用的で機動性があるペンだ。ペン先の太さの種類もいくつかあり、油性ボールペンは水に強い。書いた文字は太さも濃さも統一されている。そして、メンテナンスはどれも単純で分かりやすい。
 一方の万年筆は、インクの主流は水性で水に弱い。ペン先は耐衝撃に弱く慎重に扱う必要がある。書いた文字は、書き方によって太さや濃さが変わる。そして、定期的なメンテナンスが必要になってくる。使っていない場合はインク詰まりなど書けなくなる原因にもなり、定期的な洗浄が必要だったりする。

 このようなことから、万年筆とボールペンは、同じペンでも書き方、扱い方などが変わってくる。
 単純だが、扱い方に面倒さがあるのが万年筆。その面倒さがある分、文字の表現力(細さや濃さ、強弱など)が高い。一方のボールペンは、扱い方は単純で面倒さはない。その分、文字の表現(細さや濃さなど)は統一されている。
 万年筆のちょっと面倒さが楽しめるようになると、ボールペンの単純な扱い方、統一した文字などといったものに物足りなさを感じ、おもちゃのように感じてしまうのかもしれない(といっても、ボールペンも手放せないものではあるので、ボールペンも素晴らしいペンではあるが)。

 そして、何といっても、万年筆は使えば使うほど自分バージョンの味が出てくるのが最大の醍醐味だろう。